コーチングは誰のためにすることでしょうか~コーチングを職場に導入し成功させる要素の一つ「自分の姿勢」~

技術課長の棚橋さんは、精鋭な部下一〇名を持つ中間管理職として、自ら率先して仕事をこなし、また、会社とは別に、地域の青少年の健全育成のためのボランティアに励む、熱血ビジネスパーソンです。
そんな棚橋さんが、いつになく憮然とした表情で、コーチングのセッションをスタートさせました。

「夏休みは、楽しまれましたか?」
「ええ、私は長男なので、墓参りとか供養とか、それなりに家庭での役割もありますが、それを除けば、日ごろ読みたいと思っていた本を三冊、乱読ですが出来ましたしね。私は有意義に過ごせたと思います」

「それは何よりですね。充実した夏休みを過ごされたのですね。それにしては、私には今、棚橋さんの表情に精細さがないように感じられますがいかがですか?」
「あはは・・いつもストレートですね。だから、あなたは私のコーチなんですね。実は、今年入社した社員が、大きな設計ミスを犯していることが分かったんですが・・」

「製品になってしまったんですか?」
「いや、図面の段階でしたから、会社としての損失はたいしたことはないんです」

「それはよかったですね。発見されたのは、棚橋さんですか?」
「ええ、そうです。なんとなく、うん・・・勘が働いたというか・・」

「何か、おかしいかもしれないという気持ちをもたれたということですか?」
「ええ、まだ、報告とか相談とか、そういうタイミングが分からないらしくて、なかなか報告してこないことに気づきましてね・・」

「『ほう・れん・そう』の習慣が身についていないということですね?」
「はい、そうです。係長には指導しているんですが、なかなかプライドの高い子で、相談してこないようで、係長も手を焼いているんです」

「それは大変ですね。入社1年目は、業務に慣れるのに精一杯なはずなのに、一人で仕事を任せるとは、勇気ある育成方法ですね」
「いやぁ、褒められたことはないですよ。人手が回らなくて、放任しているという状態に近いからです」

「どこの職場も同じですね。ところで、その彼の設計ミスについてはどんなふうに本人と確認しあったんですか?」
「図面を書いているデスクへ僕が行って、ちょっといいか?と声をかけて話を聴いたんです。本人に指示された内容について本人から聴とっていたんですが、どうも、それじゃ、図面が違うと思ったんです。そこですぐに指摘しても良かったんですが、せっかくコーチングのスキルを勉強したわけですから、まずは、本人の話を黙って聴こうと思いまして、最後まで聴いたんです」

「傾聴ですね?学ばれたスキルを使ってみようという姿勢、とても素敵ですね」
「ありがとうございます。話を聴いていながらも、図面を見ると、どうも違うんですよね。指示された内容と、出来上がった図面は、微妙にですが、ずれがあるんです。それで、図面と指示が違うと思われる点を三つほど指摘したんです。そうしたら、ムッとした表情で、『係長はそんなことは言いませんでしたし、聞かれなかったから、私は言わなかっただけです』と、切り口上で返されてしまって・・」

「ついつい、大きな声を上げた?」
「よく分かりますね・・。コーチングの研修をし、若い社員の育成に発揮しようというのが僕の半期の目標ですからね。自分の目標も達成出来なくなるし、部下のためにもならないと思って、我慢しようと思ったんですが、『聞かれなかったから言わなかった』という、あまりにも他人任せな姿勢に腹が立ってしまって・・」

「そうですね。『聞かれなかったから言わない』というのは、他人任せな姿勢ですね。残念ですね。棚橋さんは、部下本意の育成を願って、コーチングの研修をし、職場で実践されているわけですからねぇ」
「うん・・。一つ厳しいことを申し上げてもいいですか? 棚橋さん、コーチングは誰のためにあると思いますか?」

「え??相手のためでしょう」
「うん、そうですよね。この場合の相手とは『聞かれなかったので、言わなかっただけ』の彼ですか?」

「そうです。あと、係長もかな? 報告や連絡は待っていてはだめで、自分から取りに行くことに気づかなければ、今回のようなミスを犯される。『聞かれないから言わない』と言うほうも言うほうだけど、そういう教育しか出来てないことがわかってよかったと思いますよ」
「では、先ほどの言葉尻をつかむようで申し訳ないんですが、ご自分の目標が達成出来ないという気持ちについてはいかがですか?この場合、ご自分の評価を気にされた発言であると感じたのですが」

「あ・ん?・・・」
「本人の目標の達成を残念に思うのと、ご自分の評価を気にされるのとでは、コーチング姿勢が変わってくると感じますがいかがですか?」

「あはは、おっしゃるとおり、私は自分の評価をまず気にしました。さすがコーチは名コーチだ。どうしてそう感じたのか教えてもらえますか?」
「一つは、表情です。ご自分の目標が達成出来ないとき、いつもセッション中に見せる表情があります。でも、今日はいつもとは違った表情でした。あきらかに、自分の評価にこだわりをもたれているような表情でした。それをどんな・・と聴かれると、絵もうまくないし、お伝えするのは難しいので、勘弁してもらえますか?」

「ああ・・・憎々しい表情だったかな?目がきついというか、目つきが悪いといわれたことがあるけれども、相手を追い詰めようとするとき、僕が見せる眼をしていたのかもしれないな」
「うん、そうですね。目つきが悪いというか、怖いほど強く何かをにらんでいる。そんな感じではありました」

「そうでしょう、いやぁ・・いかんなぁ・・。くせだなぁ・・。自分がどんな顔して相手と向き合っているかなんて考えもしなかった。僕はたださえ強面だから、怒られたと誤解したのかも知れないなぁ」
「今後に向けて、確認したいのですが、ご自分の目標の達成と、部下の支援との間に距離があるとき、棚橋さんが気をつけたほうがいいと思うことはなんですか?」

「うん、まずは部下のためにあれ!という言葉を思い出すことですかね。自分の目標は自分のものであり、まずは、コーチングを通して、部下が自立して少しでも早く一人前になることを忘れないようにしなければならないですね」
「そうですね。コーチングは相手の支援を目的に行うという基本を忘れないでいただければと思います。ところで、来週までの1週間の目標についてですが・・」

「はい。今日のセッションを受けて、若い奴や係長との接しかたを考えてみます。彼らのためになることに気づいたら、それを実行してみることにします」
「そうですね。是非、実行してみてください」

棚橋さんのように、コーチングを通して部下の育成を自分の目標にされた場合、板ばさみとなってストレスを感じることがありますが、コーチングは相手を支援し続けるという姿勢を貫くことが大切なことを、改めて学びました。


竹内 和美

竹内 和美 (たけうち かずみ)
エイジング・アドバイザー®/世渡り指南師®/プロフェッショナル・キャリア・カウンセラー®/認定キャリア・コンサルタント/認定エグゼクティブ・コーチ
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